マタイ受難曲 訳者より

女性ソプラノやアルトがいないマタイは好みの問題だと思います。 ヴォルフェンビュッテルのマルティン・コレールスという作曲家が作曲した《マタイ受難曲》(1664年)が、その最初だといわれています。 この後の曲でもレチタティーヴォの中の合唱は群衆を表わしています。

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受難曲の歴史

最初にこのトロープスの説明から入ります。 鈴木雅明氏によれば、その理由は、ヨハネ福音書が、イエスが処刑された聖金曜日に朗誦されるということ以外に、ヨハネが福音書の記者として受難の物語をもっとも教義的な面から捉えており、神の計画というか、イエス・キリストの受難から復活の全体像のなかに受難を位置づけるヨハネ福音書の内容が、ルター派の考え方と合致するために、ルター派の作曲家がヨハネ受難曲を数多く作曲したということです。 しかし演奏は実に生真面目です。

マタイ受難曲

続く「私たちには律法があります」の合唱では,対照的に整然ととしたフーガとなり,いけにえを要求します。

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マタイ受難曲とは

12/8の揺れ動くリズムに乗って,流れるように曲は進んで行きます。

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マタイ受難曲 名盤聴き比べ(リヒター盤以外)

シャリング作のコラール"Herzlich lieb hab' ich dich, O Herr"の第3詩節,旋律は作者不詳。 コラールの方は, 第14曲と同じコラールの第34詩節,旋律も第14曲と同じものです。

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マタイ受難曲について

こ の演奏で最も特徴的なのは、 バッハの時代の教会の慣例に従 い、女声を用いていないことで す。 (72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱) 63. そして、1712年にバッハの前任カントル、ヨーハン・クーナウ(1660~1722、着任は1701年)が、聖トーマス教会で《マルコ受難曲》を演奏し、この流れが定着しました。

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