女性ソプラノやアルトがいないマタイは好みの問題だと思います。 ヴォルフェンビュッテルのマルティン・コレールスという作曲家が作曲した《マタイ受難曲》(1664年)が、その最初だといわれています。 この後の曲でもレチタティーヴォの中の合唱は群衆を表わしています。
9旧盤はどちらも評判が高いものでしたが、現在は廃盤となってしまい入手困難です。
ショルティの「魔笛」は歴史に残る名盤ですが、このマタイ受難曲も引けを取らない完成度だと思います。
最初にこのトロープスの説明から入ります。 鈴木雅明氏によれば、その理由は、ヨハネ福音書が、イエスが処刑された聖金曜日に朗誦されるということ以外に、ヨハネが福音書の記者として受難の物語をもっとも教義的な面から捉えており、神の計画というか、イエス・キリストの受難から復活の全体像のなかに受難を位置づけるヨハネ福音書の内容が、ルター派の考え方と合致するために、ルター派の作曲家がヨハネ受難曲を数多く作曲したということです。 しかし演奏は実に生真面目です。
北ドイツの音楽家、ヨーハン・ブァーレンティン・メーダー(1649~1719)には、《マタイによるオラトリオ受難曲》という作品があり、レチタティーヴォは朗誦調を完全に脱し、オペラ的に身振りの大きなもので、たとえばイエスが十字架を予告するくだりには、バッハを彷彿とさせる十字架音型があらわれています。
htm ほとんどの代表的演奏網羅。
25a~c レチタティーヴォと合唱 ヨハネ伝19-18~22 福音史家,ピラト,通奏低音 4部合唱,管弦楽 磔刑の場を福音史家が語ります。
27曲のような「怒り」はもう聞かれません。
これは蛇足なので、関心の無い方は読み飛ばしていただいて結構なのですが、やはりワーグナーに触れないわけにはいきません。
そのときの旬の新盤が消えた? それもあるが、ロストロポーヴィチやマイスキーが圏外に去ったのも驚き。
シャリング作のコラール"Herzlich lieb hab' ich dich, O Herr"の第3詩節,旋律は作者不詳。 コラールの方は, 第14曲と同じコラールの第34詩節,旋律も第14曲と同じものです。
17今の感覚で考えると、複数人物の発言だけが多声化されるのかと思われますが、当時の作例を見ると、必ずしもそうではなく、個人(ペトロ、ユダ、女中など)の発言や、イエスの言葉まで多声化するもの、さらに、福音記者の語りの一部(とくに最後の部分)をも多声化するものなどがあります。
また,一説では断食後のイースターのお祝いで食された卵(昔は大変な貴重品だった)がイースター・エッグになったと言われている。
こ の演奏で最も特徴的なのは、 バッハの時代の教会の慣例に従 い、女声を用いていないことで す。 (72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱) 63. そして、1712年にバッハの前任カントル、ヨーハン・クーナウ(1660~1722、着任は1701年)が、聖トーマス教会で《マルコ受難曲》を演奏し、この流れが定着しました。
15当初は司祭が多少の抑揚をつけるものの延々と聖書の受難の場面を読み上げましたが、やがてこの部分に音楽が付けられるようになり、受難曲へと発展していきます。
04月• ソナタは、基本的にはイタリアで生まれた教会ソナタの4楽章の定型の楽章配置をとっていますが、第2楽章にフーガをおくなど、バッハ独自の構成も見られます。